【京大合格につながったエピソード】自主学習で勉強する習慣がついた【たぐち】

育児・教育

こんにちは。たぐちです。

僕の友人の京大卒社会人にインタビューしてみよう企画第2弾テーマ『京大合格につながったエピソード』です。

今回はインタビューではなく、僕自身の話を投稿します。

僕は高校まで地方の公立学校で、塾にも行かずに授業と自習で勉強していました。

褒められるのが嬉しくて勉強をしていただけなんですが、そのきっかけになったのが小学三年生のときに始めた「自主学習」だと思います。

一部は自分の子どもの教育にも取り入れようと思う内容で、皆さんにも役立つところがあると思います。

最後まで読んでみてください。

褒められるのが嬉しくて毎日自習していた

僕の勉強方法は授業と自習だけで、塾にも行かず通信教育のようなものもやったことがありませんでした。

教材も、受験前以外は学校から支給される教科書と問題集だけです。

たぐち
たぐち

これは友人の中でも珍しいようで、よく驚かれます。

とは言え勉強せずに成績が良かったわけではなく、自宅で勉強する習慣はあって、小学生のときから家でよく勉強していました。

高校のときは部活終わりに毎日3時間近く自習していたと思います。

宿題のように先生に言われてやらされていた内容もありますが、特に言われなくても毎日自習していたと思います。

そのように毎日勉強する習慣がありましたが、勉強の内容自体が楽しくてやっていたわけではなく、ただ褒められるのが嬉しくてやっていました

宿題をやっていくだけで褒められるし、プラスアルファで自習していったらもっと褒められます。

頑張ってテストで良い点を取れば褒められるし、それが前回よりも良い順位だったら尚更褒められます。

いつも「もっと褒められるにはどうすればいいか」を考えて行動に移していました

結果的に、気を抜くとサボってしまう周りの友人と違って、僕はサボることがほぼ無いので必然的に勉強時間が長くなり、成績が上がっていきました。

そして高校2年生の冬頃に、「一旦高い目標を掲げて頑張っておけば、目標には届かなくても成績は伸びるだろう」という意図で、京大合格を目標に掲げました。

結果、現役時は不合格で1年浪人しましたが、点数開示の結果を見ると数点差だったので、悔しくはありましたが方向性は間違ってなかったと感じました。

たぐち
たぐち

その後、予備校で1年勉強したら少し余裕を持って合格できました。学校の先生より教え方がうまかったです!

内容が完全自由の自主学習

自習をする習慣がついたのは小学三年生の時で、その時の担任の先生のおかげで「自主学習」をするようになったのが要因です。

その先生は「何でもいいから1日1ページ何か書いてきてごらん」と言ってくれました。

それは必ずしも漢字の書き取りや算数のドリルのような勉強でなくても、絵を描いたり日記でも問題ありませんでした。

たぐち
たぐち

本当に何でも良かったんです!

僕がノートに何か書いて提出すると、毎回褒めてくれてコメントを残してくれました。

ときにはクラスのみんなの前で褒めてくれることもあったので、その時はとても嬉しかったのを覚えています。

また、内容は何であれ「自主学習」という名前をつけてくれて、「それも勉強だ」というメッセージを込めてくれたのも大きかったと思います。

やっていたことを思い出せる範囲で列挙すると・・・

漢字、算数ドリル、好きなもの(恐竜・サッカーボール・魚など)の絵を描く、日記、図鑑で調べたこと(カブトムシの育て方、動植物の名前など)を書き写す、慣用句とその意味を書き写す・・・などです。

たぐち
たぐち

漢字も算数ドリルも、やらされてる感が無かったのが大事な気がします。

一度、父親と母親の似顔絵を合体させて「両親の顔」と言って提出したこともあり、家族は笑っていましたがそれでも先生は褒めてくれました。

その先生自身が美術の先生で発想が自由な方だったので、生徒を型にはめることなく自由にやらせてくれたんだと思います。

逆に、先生の独特な手書き文字で意味不明な題材で配られていた学級通信を読んで「こんなのでもいいのか!」と、自主学習のネタの参考にしていました。

自主学習のおかげで”褒められる方法”が分かったし、”褒められる嬉しさ”に気づいたおかげで勉強する習慣が身について、結果的に京大合格につながったのだと思っています。

この世界は自由であることを伝えたい

今回の話を踏まえて子育てにどう生かすかを考えてみました。

最初のうちは、”褒められることがモチベーションになって勉強する”のは悪くないと思いますが、承認欲求のためだけに動く大人にはなりたくないです。

僕自身も現役時に不合格になったときに、「周りから認められることを大事にしてきたけどそんなものに意味はなかった。結果が全てだ。」と感じました。

それからは周りからの評価を無視するようにして、自分の意志で行動を決めるように意識し始めました。

当ブログのメンバーも同じように考えて行動して、それが良かったと感じているようなので、全員とは言えないまでも多くの人にも当てはまると思います。

https://furaben.com/others-indifferent-to-me/

https://furaben.com/not-impose-responsibility/

話を戻しますが、こういう理由で「褒めることが大事」という結論は良くなさそうです。

僕なりの結論としては「自由を感じられたこと」が大事だったんだと思います。

当時あまり意識していなかったかもしれませんが、「学校や塾で教わることこそが勉強であり、親や先生が言うことが正しいことだ」と思っていたような記憶があります。

また、言葉で言う「何でもいいよ」は「本当になんでも良いわけではない」という事実を子どもながらに感じてたのははっきりと覚えています。

「好きに描いていいよ」と言われて紙とクレヨンを渡されたら、「紙にクレヨンで描け」という指示であって、”壁にクレヨンで描いた絵に、紙を切り貼りして立体感を出す作品”を作ってはいけないんです。

そのように感じていたときに、「きれいな文字で書きなさい」と他の先生に怒られそうな文字を書く先生がいて、「これは流石に怒られるかも」という内容の自主学習を提出しても褒めてくれました。

親や他の先生が言うことだけが正しいわけじゃなくて「正解は色んな形がある」とか、「本当に自由に何をやってもいいんだ」(もちろん迷惑かけることは怒られましたが)と思えたのがとても良かったと思います。

このように”自由”を感じられたからこそ、好きな勉強を好きなだけやれたし、嫌になることがなかったんだと思います。

今は自分が子育てをする世代になりました。

変化の激しい時代で未来がどうなるかなんて誰にも分かりません。

「子どものうちにやっておくべきこと」なんて正解はありません。

だからこそ、自分の子どもが自分の好きなことを自由にやっていけるように、邪魔はせず、可能な範囲でサポートしたいと思いました。

 

今回は自分の話でしたが、僕とはタイプの違う京大卒社会人の友人にも同じテーマでインタビューしています。

合わせてこちらも読んでみてください。

京大合格につながったエピソード
「京大合格につながったエピソード」の記事一覧です。

今後も僕や友人の経験の中で、皆さんにも役立つと思う内容を投稿していきます。

Twitterでも毎日発信していますので、フォローお願いします。

それではまた!

コメント

タイトルとURLをコピーしました