【日本の教育について思うこと】国語教育の問題点【なおき】

育児・教育

こんにちは。たぐちです。

「京大卒社会人にインタビューする企画」の第8弾テーマ『日本の教育について思うこと』。

今回話してくれたのは京大理系学部卒で自動車メーカーの開発職をしているなおき君です。

小学生の頃から国語の授業の必要性がよく分からず、嫌いだったというなおき君。

僕も同じく国語は苦手だったので、お互いの経験から問題点や解決策について話しました。

理系で国語が苦手だったという人も多いと思いますが、そういう方には共感できるところがあるかも知れません。

なぜ勉強しないといけないのか分からなかった

たぐち
たぐち

日本の学校教育について思うことってある?

なおき
なおき

自分の受けてきた教育を思い返すと、国語の授業の必要性が分からなかったな。

なおき君は小学生の頃から国語の授業が嫌いで、先生に反発していたそうです。

漢字の勉強をほとんどやらなかったり、熟語の意味を辞書で調べて書くという宿題も無視していました。

宿題をやってこなくて先生に怒られることもあったそうですが、当時から漢字も熟語の意味も理解していたので、先生に言い返して黙らせてしまったこともあったそう。

日常生活や家庭教育の範囲で国語を理解していたため、授業で学ぶ必要性を感じられませんでした。

とは言え、国語の授業を受けたおかげで国語力が身について、現在役に立っています。

国語の授業が無ければ、ニュースや専門書を読むために必要な力が身につかなかったかもしれません。

でも当時はどのように役に立つのか、この授業を受けた結果どういうことができるようになるのかが分かりませんでした

目的がはっきりしていなかったことが原因で、国語の授業を主体的に受けられなかったのだと思います。

国語の授業は”なんとなく読めている文章”をより深く読むための授業です。

なんとなくでも”読めている”と感じて、必要性を感じられなかったのだと思います。

そういう意味では、大人が読んで理解する必要のある、新聞・論文・ニュース記事などを一回読ませてみて、「こういう文章を読んで行動を決めないといけないから、今のうちから文章を読む力をちゃんとつけましょう」と指導してくれたらよかったかもしれません。

先生自身も本当のところは理解せずに教えている

たぐち
たぐち

なるほど。確かに国語の授業受けなくてもなんとなく理解できるもんな。

なおき
なおき

そうそう。加えて、先生も理解してないってことが発覚したエピソードがあって、国語って勉強する意味の無い教科だなって思った。

なおき君は、先生が国語の授業で教えている内容や問題の解き方が本当に正しいか疑問に思っていたそうです。

その思いを強くしたエピソードに”先生の作った問題を作者に確認したら間違えていた”という事がありました。

なおき君が小学生の時、国語の先生が小説を基にして自作の問題を作ってくれたことがありました。

その問題の解説を聞いて、答えに納得できない部分があったため先生に突っかかりました。

同様の意見を持っていたクラスメイトも加勢してくれて、複数人で先生に反発する事態になったそうです。

国語の先生は、「〇〇という接続詞が使われているから、このセリフの意味はこう読み解くのが正解なんです。」と解説していました。

なおき君たちはその解説を聞いてもどうしても納得できませんでした。「確かに〇〇という接続詞にはそういう効果があるけど、この文章での使われ方は違うでしょう。」と主張し引き下がりませんでした。

その意見を尊重してくれて、先生が作者に問い合わせて確認してくれました。

その結果、なおき君たちの意見が正しかったことが分かり、「先生も本当のところは理解できていないのではないか?」と強く感じたとのこと。

なおき君は「先生でさえ本当に文章を理解しているわけではなく、読解テクニックで機械的に意味を判断していることもある。」と感じたそうです。

ただ一方で、”前後の文脈からしてこう読み解くのが適当である”いう感覚的な方法も混在して教えられていることから、なおき君は

なおき
なおき

結局文章を読み解くのに確立された方法なんて無いんだ。ある時は規則的な方法で、ある時は感覚的な方法で、どちらを選ぶかのルールも存在しない。こんなもの学んでも意味は無い。

と思うようになったそうです。

なおき
なおき

読み方や解き方を教わっても「それってあなたの感想ですよね?」

「そのやり方が本当に正しいという根拠はあるんですか?」と思っていた

たぐち
たぐち

確かに、先生の解説を聞いても「どうしてそのフレーズに注目したの?」と思うことはあったな~

突き詰めていくと感覚の世界になるのかもしれない・・・

国語の授業で解説している“文章を読み解く方法”は理論が確立されている訳ではないです。

“文法”はある程度理論が確立されていますが、読み解いたり表現するための理論はありません。

その上で、読解や作文を教える必要があるため、先生も間違えることがあったり、生徒が体系的に理解しづらいと感じることに繋がっているんだろうと思いました。

国語苦手ながらに面白かった授業

たぐち
たぐち

国語は全体的に嫌いだったみたいだけど、部分的に面白かったところってある?

なおき
なおき

ん~、何かあったかなぁ~?

たぐち
たぐち

僕は高1で教わった『羅生門』の解説で初めて面白いと思ったんよ!

僕も国語が苦手で、真面目に勉強してもなかなか読解力が身につかなかったし、面白いと思えませんでした。

しかし、高校1年のときに芥川龍之介の『羅生門』の授業で、「小説に無駄な文章なんて無い」と教えてくれた先生がいて、その解説が面白いと感じたのを覚えています。

『羅生門』には「柱にコオロギが止まっている」という描写と、その少し後に「コオロギがいなくなっている」という描写が出てきます。

「この描写から分かることは?」と聞かれ、僕は「最初は居たコオロギが居なくなったこと」と思いましたが、全然違いました。

“季節が秋であること”、”そこにコオロギくらいしか居なくて人は誰も居ないこと”、”時間が経過したこと”を表現していると教わりました。

これらの状況を文章で説明するわけではなく、コオロギの描写でスマートに表しているのだと解説されて、「面白い!」と感じました

なおき
なおき

そう言えば俺も、小説で使われる暗示は面白いと思ったことがある!

小説の作品名は覚えていないとのことですが、病気の子どもが夜にボールで遊んでいるシーンが描かれていました。

子どものボールが風に吹かれて飛んでいくのですが、そこで「闇に吸い込まれる」という表現があり、なおき君は”何か不穏な感じ”を感じ取っていました。

その後、「”闇に吸い込まれる”という表現が”子どもの命が失われていくこと”の暗示である」と解説がありました。

その解説を受けて「俺の感情はそうやってコントロールされていたのか」と感心したとのこと。

僕の場合もなおき君の場合も、国語全体には面白さを感じていないながらも、小説の表現におけるテクニックは面白いと感じていました。

もしかしたら、”直接描写されてはいないけど読み取れることや考えられること”を考えさせて話し合うという授業形式であれば、文章を読み解くことの面白さに気づきやすいのかもしれません。

”羅生門 解説”で調べると様々な解説サイトが出てきます。大人になった今、解説を見てから読み返すと面白いかもしれません。(芥川龍之介『羅生門』を徹底解説!|下人はどこへ行ったのか?

国語教育の必要性

なおき君も僕も当時は国語が嫌いだったり苦手だったりしましたが、今は”必要”だと思うし、勉強しといてよかったと感じています。

だからこそ、必要性や重要性を最初から理解して主体的に学びたかったと思っています。

国語の先生は国語が好きな人が多いと思うので、好きになれない人や苦手な人の感覚を理解しづらいのかもしれません。

だからこそ、国語の面白さを伝えるために工夫する余地がありそうだと感じました。

今回のインタビューだけで結論を出すことはできないし、出す必要もないと思っています。

ただ、国語が好きだった人も含めて皆さんがどう思うのか気になるので、是非コメントしてください。

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